公詢社ブログ 葬儀屋のつぶやき
2018年11月
2018.11.26
香の由来
香は普通香木と錬香に分けられます。
香は仏教伝来とともに日本に伝わりましたが、元来古代民族の間では
儀礼の一つとして、香を焚き不浄を払い神を祭る風習がありました。
古代のスキタイ人でも大麻の種子を焼けた石に投げ入れ、その煙を浴びて
不浄を払った記録があり、日本で寺院などで線香の煙を悪霊のために生じたとされる
身体の欠陥のある箇所に浴びせる風習が見られます。
特に、仏教では香を焚き悪気を払い、身心を清浄するものとして重要な位置を占め、
仏像・仏具にも香木が多く用いられてます。
経文にも「花を撒き香を焚いて仏を迎える」などの記述があり、
香は仏や聖僧などを迎える為とされ、仏の使いでもあるとされています。
2018.11.20
仏衣
仏衣とは、死に装束(しょうぞく)の事を言う。
仏衣に含まれているのは、三角頭巾・手甲脚絆・帯・白衣・足袋
ずた袋・六文銭・数珠・わらじ等です。
これらは、死での旅立ちを意味しており、六文銭は故人が三途の川を渡る際に
支払う渡し賃とされ、現在では紙で出来たものを用います。
また、ずた袋には六文銭の他に出棺間際に旅の途中の食事として
枕飯や枕だんごを入れることもあります。
白衣は左前に着せ、鞐(こはぜ)をとった白足袋とわらじは左右を逆に履かせます。
こうした死出の旅立ちの身支度は宗教・宗派、または各地方によって少しずつ
違ってきますので注意して下さい。
2018.11.19
祭壇
人の死。これは避けて通ることの出来ない事柄であり、
その御霊を見送りのが人々の務めです。
その一つの方法として祭壇が自然に生まれてきました。
古き時代よりどのような形にせよ、葬儀のための飾り壇らしきものは
あったと思われます。
現在の形に至るまでかなり様変わりしていますが、その飾り役の主役は
今日に至るまで、位牌・灯り・盛物の三役であることは紛れもありません。
この内、位牌は中心的なものであり、材質もおもに白木材で作られています。
位牌の『位』は、敬意を表す言葉であり、『牌』というのは、木札ということです。
灯りの原点は、死者の枕元に置く行燈が最初に使われた通称『枕あんどん』と言います。
これは、死者が浄土に旅立つ為の灯りという意味を持っています。
その他、雪洞(ぼんぼり)・灯篭(とうろう)・六灯(ろくとう)などの形が作られ、
灯りをつけて飾られました。
六灯は仏教の六道輪廻(ろくどうりんね:六道の間を生まれ変わり、死に変わりして
迷いの生を続けること)の教えが表されています。
六道とは、衆生が善悪の習わしによって、おもむき住む6つの迷界です。
【地獄(じごく)】
現世に悪行をなした者が、その報いとして死後に苦果を受ける所。
【餓鬼(がき)】
三悪道・六道・十界の一つ。
ここに住む者は内障・外障によって飲食することが出来ず、常に飢餓に苦しむ。
【畜生(ちくしょう)】
生前に悪行をなした者がおもむく世界。
地獄より上だが禽獣(きんじゅう:鳥や獣)の姿に生まれて苦しむ。
【修羅(しゅら)】
阿修羅の住む争いの絶えない世界。
【人間(にんげん)】
人間の住む世界。
【天(てん)】
人間世界より優れているが、いまだ輪廻を逃れられない。
2018.11.18
枕飾り
安置したご遺体に色々なものを飾る事を『枕飾り』という。
●お 鈴:これを打つ事によって人々の邪念を払う。
●位 牌:死んだ人の霊をまつる。
●香 炉:線香か抹香をたく道具。
●線 香:煙が仏を清める、死臭を消す (抹香)香りが人々の心を安らげる。
●燭 台:ローソクの灯りは煩悩の闇を消す功徳があるとされている。
●花 瓶:一本樒を立てる。樒は実に猛毒があり聖地を守る植物とされている。
●枕 飯:あの世への旅の食糧。(宗派によってしないものもあります)
●枕 水:死に水をとる。末期の水という。(仏に水をあげること)
死に目に会えなかった遺族・親族が仏の魂を呼ぶ。
(死ぬと喉が渇くと言われています)
●守 刀:魔除けのため。
●逆さ屏風:外から亡くなった人の姿を見えないようにしていた。
●枕だんご:地方によって使用することもある。
『枕飾り』が整ったら、仏式では僧侶に枕経(枕づとめ)をあげてもらう。
このお経は、故人を仏の御座に送る大切なものであります
※浄土真宗では『即身成仏』とされるため、仏壇にお経を唱えます※
2018.11.17
中陰法要
ご命日から数えて七日目に営む法要を初七日といい、
以後七日ごとに満中陰(四十九日)まで法要をつとめます。
この法要を中陰法要と言います。
一般的に、「中陰」と言う言葉は、死んでからまた生まれ変わるまでの
中間のことを意味する「中有」という言葉に由来しています。
そして、その期間を四十九「七七日」としていますので、故人の死後、
次の生を受けるまでの四十九日間は、生と死の間を彷徨う状態にあるなどと
言われる事があります。
※浄土真宗のみ教えのもとでは、阿弥陀如来のはたらきによって、その命を
終えられるとただちに浄土に往生し、悟りを開いて仏となるので、故人が
生と死の間をさまようことはありません※
また、満中陰までの期間が三か月のまたがると、
「終始苦が身につく」などと言って、これを嫌い、
中陰を早めに切り上げようとする迷信がありますが、
「友引」同様に、言葉の遊びにしかすぎません。
火葬の後、自宅に戻ってきた故人の遺骨は、中陰壇に安置することになります。
その中陰壇には三具足や供物が飾られ、ほかに遺影などが置かれたりします。
2018.11.15
香典
今は『香典』が一般的ですが、元は『香奠』で『奠』には
『供える』という意味があります。
したがって、字義的には『香奠』は゛香を供える゛という意味であると
分かります。
由来は、『六種供養』からきており、仏を供養するには華・塗香・水・焼香・
飲食・燈明の六種を言います。一方。香典・香資とは゛香を買う代金゛として
差し出されるものを意味します。
従って、香奠と香典・香資とは意味が異なるが、現在では゛香を買う代金゛の意味で
用いられるようになっています。
しかし、香奠というからには、香を死者に捧げた段階があるはずなので、
『墓に香花、すなわち樒を立てたもの』であると言われています。
五来説によると、『香花を奠する』という言葉を二つに分けて
『香奠』と『香花』になりました。
また、仏教でいう『三具足』(燭台・香炉・花立)にも基本があります。
『香』は仏様の食べ物から転じて『食糧』となり、香奠は米麦・野菜・酒
などを供する意味になったと思われます。恐らく『食糧』だったものが、
金銭香奠に次第に移行していき、地方では戦前はまだ食糧香奠が見られ、
戦後になって金銭香奠に統一されました。
2018.11.14
初心
縁があって新しい方が入社されてくると、各部署での研修が始まります
研修を行うといつも思うことは、自分も初心に戻ってもう一度
新たに勉強しようと思う事です。
この度も、2名入社されましたが、そういう気持ちで研修に臨んでいます。
教えながら自分自身も勉強する。
研修というのは、そういうものであると思っています
2018.11.13
神様の性格?!
神様を性格で分類すると、和魂(にぎみたま:和御霊とも書く)と
荒魂(あらたま:荒御霊)になります
和魂は神様のおやさしい温和な霊力を指し、荒魂は勇猛さの反面、
粗野で時には人に祟りを及ぼすような霊力であり、神の「怒り」を表して
いるとも言われています。
和魂は、さらに人に幸福をもたらす幸魂(さきみたま)と人に霊力などを与える
奇魂(くしみたま)に分類されます。
和魂と荒魂は、元来一つの神の2つの側面を表したものです。
後に荒魂の霊力をもつ神が祀られるようにもなりました。
元々神道は太陽などの自然を神と仰ぎ、自然現象などにその霊力を
感じ取ってきました。
自然は日々の恵みをもたらしてくれると共に、時に風水害、落雷、地震など
大規模な災害をもたらします。
そのような自然の姿が、古代の人々の神への信仰に大きな影響を与えたのでは
ないでしょうか?
人々に不利益を与える面も、荒魂としてお祀りしたのは、厳しい自然現象からも
神のパワーを感じたからではないでしょうか。
和魂と荒魂の祭祀は、神や自然への感謝と恐れの気持ちと共にそれらへの
深い洞察を示しています。
2018.11.12
数珠
珠には、木の実・水晶・真珠・金・銀・さんご・香木などがありますが、
特にボダイジュの種と水晶を功徳(くどく)の高いものとして重んじています。
儀式用として特色あるものには、密教で用いる装束数珠、
浄土宗の環貫数珠、修験調のものが無難とされていますが、
僧以外は無用に持つことはありません。
尚、キリスト教で用いられる数珠はロザリオと言われ、
イスラム教にも類似のものがあります。
【功徳】
①良い果報をもたらす基となる善行
②善行の結果として与えられる神仏の恵み
【ロザリオ】
カトリックの用語で、「ロザリオの祈り」の際に用いる数珠をリザリオという。
ロザリオとは、バラ園を意味するラテン語のrosariumからきた言葉です。
キリストと聖母マリアの「喜びは五玄義(奥義)」「苦しみの五玄義」
「栄えの五玄義」を黙想しながら聖母のとりなしで神に祈願するために、
天使祝詞150回を唱えることをロザリオの祈りと言います。
2018.11.08
霊柩車
かつて、お弔いの徒歩行列というものがありました。
ご遺族がご遺体を担いで歩いて運び、会葬者もまたその後をついて行く
そんな時代がありました。
さらに、裕福な家庭の葬列では特別な輿(こし)をこしらえました。
輿の中に棺をおき、それを担いで運んでいました。
輿を自動車に固定させ、賑やかに飾りつければ宮型になり、その賑やかな
飾りが柩車とのつながりになっています。
1910年代後半に、歩行行列が自動車に変わりました。
理由は明白で、都市への人口集中により、市街地が拡大。
都市の膨張により火葬場が外へ外へと移っていき、必然的に家から
火葬場までの距離が長くなったためです。
自動車が葬送に使われるようになりました。
しかし、これに対して抵抗も強かったようです。
それは、ご遺族が亡き人を丁重に運んでいくという民族慣習があり、
ご遺体を貨物かのように車で運搬してしまう。このような保守的な心理が
受け入れられなかったそうです。
この互いに矛盾する二つの方向性に折り合いをつける手立てはないものか?
ということで宮型のデザインが考案されました。
それは、伝統的な『お宮』の造形を施すことで、
民衆心理と折り合いをつけてきました。
江戸期の葬列は夕暮れ時にひっそりと行っていました。
19世紀後半は、都市の葬列が大変賑やかになり、供行列の奴(やっこ)たちが、
様々な芸を披露し、音楽を奏で旗やのぼりが材立し行列を彩っていました。
これは、大名行列という華麗な行進を明治以降大名行列がなくなったのを機に
裕福層が葬列を演出しました。
この富裕層の派手な葬列の欲望が簡素な輿を賑やかな宮型に変え、
歩行列が出来なくなっても宮型霊柩車に思いを託しました。
この人たちが、現在の霊柩車の原形を作ったと言われています。
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