公詢社ブログ 葬儀屋のつぶやき

2018.11.08

霊柩車

 

かつて、お弔いの徒歩行列というものがありました。

ご遺族がご遺体を担いで歩いて運び、会葬者もまたその後をついて行く

そんな時代がありました。

さらに、裕福な家庭の葬列では特別な輿(こし)をこしらえました。

輿の中に棺をおき、それを担いで運んでいました。

輿を自動車に固定させ、賑やかに飾りつければ宮型になり、その賑やかな

飾りが柩車とのつながりになっています。

1910年代後半に、歩行行列が自動車に変わりました。

理由は明白で、都市への人口集中により、市街地が拡大。

都市の膨張により火葬場が外へ外へと移っていき、必然的に家から

火葬場までの距離が長くなったためです。

自動車が葬送に使われるようになりました。

しかし、これに対して抵抗も強かったようです。

それは、ご遺族が亡き人を丁重に運んでいくという民族慣習があり、

ご遺体を貨物かのように車で運搬してしまう。このような保守的な心理が

受け入れられなかったそうです。

この互いに矛盾する二つの方向性に折り合いをつける手立てはないものか?

ということで宮型のデザインが考案されました。

それは、伝統的な『お宮』の造形を施すことで、

民衆心理と折り合いをつけてきました。

江戸期の葬列は夕暮れ時にひっそりと行っていました。

19世紀後半は、都市の葬列が大変賑やかになり、供行列の奴(やっこ)たちが、

様々な芸を披露し、音楽を奏で旗やのぼりが材立し行列を彩っていました。

これは、大名行列という華麗な行進を明治以降大名行列がなくなったのを機に

裕福層が葬列を演出しました。

この富裕層の派手な葬列の欲望が簡素な輿を賑やかな宮型に変え、

歩行列が出来なくなっても宮型霊柩車に思いを託しました。

この人たちが、現在の霊柩車の原形を作ったと言われています。

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