公詢社ブログ 葬儀屋のつぶやき
2018.11.20
仏衣
仏衣とは、死に装束(しょうぞく)の事を言う。
仏衣に含まれているのは、三角頭巾・手甲脚絆・帯・白衣・足袋
ずた袋・六文銭・数珠・わらじ等です。
これらは、死での旅立ちを意味しており、六文銭は故人が三途の川を渡る際に
支払う渡し賃とされ、現在では紙で出来たものを用います。
また、ずた袋には六文銭の他に出棺間際に旅の途中の食事として
枕飯や枕だんごを入れることもあります。
白衣は左前に着せ、鞐(こはぜ)をとった白足袋とわらじは左右を逆に履かせます。
こうした死出の旅立ちの身支度は宗教・宗派、または各地方によって少しずつ
違ってきますので注意して下さい。
2018.11.19
祭壇
人の死。これは避けて通ることの出来ない事柄であり、
その御霊を見送りのが人々の務めです。
その一つの方法として祭壇が自然に生まれてきました。
古き時代よりどのような形にせよ、葬儀のための飾り壇らしきものは
あったと思われます。
現在の形に至るまでかなり様変わりしていますが、その飾り役の主役は
今日に至るまで、位牌・灯り・盛物の三役であることは紛れもありません。
この内、位牌は中心的なものであり、材質もおもに白木材で作られています。
位牌の『位』は、敬意を表す言葉であり、『牌』というのは、木札ということです。
灯りの原点は、死者の枕元に置く行燈が最初に使われた通称『枕あんどん』と言います。
これは、死者が浄土に旅立つ為の灯りという意味を持っています。
その他、雪洞(ぼんぼり)・灯篭(とうろう)・六灯(ろくとう)などの形が作られ、
灯りをつけて飾られました。
六灯は仏教の六道輪廻(ろくどうりんね:六道の間を生まれ変わり、死に変わりして
迷いの生を続けること)の教えが表されています。
六道とは、衆生が善悪の習わしによって、おもむき住む6つの迷界です。
【地獄(じごく)】
現世に悪行をなした者が、その報いとして死後に苦果を受ける所。
【餓鬼(がき)】
三悪道・六道・十界の一つ。
ここに住む者は内障・外障によって飲食することが出来ず、常に飢餓に苦しむ。
【畜生(ちくしょう)】
生前に悪行をなした者がおもむく世界。
地獄より上だが禽獣(きんじゅう:鳥や獣)の姿に生まれて苦しむ。
【修羅(しゅら)】
阿修羅の住む争いの絶えない世界。
【人間(にんげん)】
人間の住む世界。
【天(てん)】
人間世界より優れているが、いまだ輪廻を逃れられない。
2018.11.18
枕飾り
安置したご遺体に色々なものを飾る事を『枕飾り』という。
●お 鈴:これを打つ事によって人々の邪念を払う。
●位 牌:死んだ人の霊をまつる。
●香 炉:線香か抹香をたく道具。
●線 香:煙が仏を清める、死臭を消す (抹香)香りが人々の心を安らげる。
●燭 台:ローソクの灯りは煩悩の闇を消す功徳があるとされている。
●花 瓶:一本樒を立てる。樒は実に猛毒があり聖地を守る植物とされている。
●枕 飯:あの世への旅の食糧。(宗派によってしないものもあります)
●枕 水:死に水をとる。末期の水という。(仏に水をあげること)
死に目に会えなかった遺族・親族が仏の魂を呼ぶ。
(死ぬと喉が渇くと言われています)
●守 刀:魔除けのため。
●逆さ屏風:外から亡くなった人の姿を見えないようにしていた。
●枕だんご:地方によって使用することもある。
『枕飾り』が整ったら、仏式では僧侶に枕経(枕づとめ)をあげてもらう。
このお経は、故人を仏の御座に送る大切なものであります
※浄土真宗では『即身成仏』とされるため、仏壇にお経を唱えます※
2018.11.17
中陰法要
ご命日から数えて七日目に営む法要を初七日といい、
以後七日ごとに満中陰(四十九日)まで法要をつとめます。
この法要を中陰法要と言います。
一般的に、「中陰」と言う言葉は、死んでからまた生まれ変わるまでの
中間のことを意味する「中有」という言葉に由来しています。
そして、その期間を四十九「七七日」としていますので、故人の死後、
次の生を受けるまでの四十九日間は、生と死の間を彷徨う状態にあるなどと
言われる事があります。
※浄土真宗のみ教えのもとでは、阿弥陀如来のはたらきによって、その命を
終えられるとただちに浄土に往生し、悟りを開いて仏となるので、故人が
生と死の間をさまようことはありません※
また、満中陰までの期間が三か月のまたがると、
「終始苦が身につく」などと言って、これを嫌い、
中陰を早めに切り上げようとする迷信がありますが、
「友引」同様に、言葉の遊びにしかすぎません。
火葬の後、自宅に戻ってきた故人の遺骨は、中陰壇に安置することになります。
その中陰壇には三具足や供物が飾られ、ほかに遺影などが置かれたりします。
2018.11.15
香典
今は『香典』が一般的ですが、元は『香奠』で『奠』には
『供える』という意味があります。
したがって、字義的には『香奠』は゛香を供える゛という意味であると
分かります。
由来は、『六種供養』からきており、仏を供養するには華・塗香・水・焼香・
飲食・燈明の六種を言います。一方。香典・香資とは゛香を買う代金゛として
差し出されるものを意味します。
従って、香奠と香典・香資とは意味が異なるが、現在では゛香を買う代金゛の意味で
用いられるようになっています。
しかし、香奠というからには、香を死者に捧げた段階があるはずなので、
『墓に香花、すなわち樒を立てたもの』であると言われています。
五来説によると、『香花を奠する』という言葉を二つに分けて
『香奠』と『香花』になりました。
また、仏教でいう『三具足』(燭台・香炉・花立)にも基本があります。
『香』は仏様の食べ物から転じて『食糧』となり、香奠は米麦・野菜・酒
などを供する意味になったと思われます。恐らく『食糧』だったものが、
金銭香奠に次第に移行していき、地方では戦前はまだ食糧香奠が見られ、
戦後になって金銭香奠に統一されました。
2018.11.14
初心
縁があって新しい方が入社されてくると、各部署での研修が始まります
研修を行うといつも思うことは、自分も初心に戻ってもう一度
新たに勉強しようと思う事です。
この度も、2名入社されましたが、そういう気持ちで研修に臨んでいます。
教えながら自分自身も勉強する。
研修というのは、そういうものであると思っています
2018.11.13
神様の性格?!
神様を性格で分類すると、和魂(にぎみたま:和御霊とも書く)と
荒魂(あらたま:荒御霊)になります
和魂は神様のおやさしい温和な霊力を指し、荒魂は勇猛さの反面、
粗野で時には人に祟りを及ぼすような霊力であり、神の「怒り」を表して
いるとも言われています。
和魂は、さらに人に幸福をもたらす幸魂(さきみたま)と人に霊力などを与える
奇魂(くしみたま)に分類されます。
和魂と荒魂は、元来一つの神の2つの側面を表したものです。
後に荒魂の霊力をもつ神が祀られるようにもなりました。
元々神道は太陽などの自然を神と仰ぎ、自然現象などにその霊力を
感じ取ってきました。
自然は日々の恵みをもたらしてくれると共に、時に風水害、落雷、地震など
大規模な災害をもたらします。
そのような自然の姿が、古代の人々の神への信仰に大きな影響を与えたのでは
ないでしょうか?
人々に不利益を与える面も、荒魂としてお祀りしたのは、厳しい自然現象からも
神のパワーを感じたからではないでしょうか。
和魂と荒魂の祭祀は、神や自然への感謝と恐れの気持ちと共にそれらへの
深い洞察を示しています。
2018.11.12
数珠
珠には、木の実・水晶・真珠・金・銀・さんご・香木などがありますが、
特にボダイジュの種と水晶を功徳(くどく)の高いものとして重んじています。
儀式用として特色あるものには、密教で用いる装束数珠、
浄土宗の環貫数珠、修験調のものが無難とされていますが、
僧以外は無用に持つことはありません。
尚、キリスト教で用いられる数珠はロザリオと言われ、
イスラム教にも類似のものがあります。
【功徳】
①良い果報をもたらす基となる善行
②善行の結果として与えられる神仏の恵み
【ロザリオ】
カトリックの用語で、「ロザリオの祈り」の際に用いる数珠をリザリオという。
ロザリオとは、バラ園を意味するラテン語のrosariumからきた言葉です。
キリストと聖母マリアの「喜びは五玄義(奥義)」「苦しみの五玄義」
「栄えの五玄義」を黙想しながら聖母のとりなしで神に祈願するために、
天使祝詞150回を唱えることをロザリオの祈りと言います。