公詢社ブログ 葬儀屋のつぶやき

2018.07.15

死刑

オウム真理教 麻原彰晃の死刑が実行されました。

 

色々な意見はあることでしょう、しかし大多数の国民感情は「是」なのではないでしょうか。

 

どんな人でも、その最期に関わるのはやはり葬儀屋です。

 

刑場から誰かが搬送し、誰かが棺に納め、誰かが火葬場へ送り届ける。

 

そしてそれぞれの場面で、携わった葬儀屋さんはきっと「手をあわせた」はずだと思うのです。

 

被害者、そのご家族にそれを求める事はできないでしょう

 

もし自分がその現場にいたなら…やはり手をあわせた事でしょう。

稀代の犯罪者とはいえ、それが目の前のご遺体に対する「敬意」だと思うのです。

 

我々が手をあわせるって、そういう事だと思っています。

 

否定でも擁護でもありませんが

同時に執行された6名の御霊にも 合掌

2018.06.30

最後の朝

 

朝一番 故人が好きだったコーヒーをお供えしようと

式場に入ると、柩に寄り添う息子さんの姿を目にしました。

恐らく昨夜からずっと側にいたのでしょう。

いったん下がりコーヒーをもう一杯入れて

息子さんのもとへお持ちしました。

「良かったらお母様と一緒に飲まれませんか?」

息子さんは立ち上がり、

「おかん、コーヒーやで!おかんの好きなコーヒーや!

 一緒に飲もな」と柩の上にお供えされました。

母と子、2人で過ごす最後の朝。

コーヒーを飲みながらどんな話をしたのでしょうか。

しばらく2人きりでひと時の時間を過ごされました

2018.06.29

いい言葉

 

ある喪家様を訪問した時のお話

仕事に遊びに家族に一生懸命のご主人。

奥様とご主人との想い出話の中で、

一番気を引いたのが、旦那さんの信条である

「どんなに悪い人でも1つは必ずいいところがある

 悪い所ではなく、いい所を見て人と付き合ってきた」

という言葉。

ご主人は、亡くなるまでその言葉通り生きてこられました。

奥さん曰く、「勿論、それで騙されたりしたことも何度もあった」と。

それでも、「人間が好きや」

とその生き方を貫かれてきました。

最後まで人を信じぬく事、自分の信念を貫き通す事、

なかなか出来ることではありません。

ご主人に対して、尊敬の念を抱くとともに、

このお話をして下さった奥様にも感謝です。

2018.06.19

 

縁(えん)

【意味】

1.仏語 結果を生じる直接的な原因に対して、間接的な原因。

    原因を助成して結果を生じさせる条件や事情。

2.そのようになるめぐりあわせ。

3.関係を作るきっかけ。

4.血縁的・家族的なつながり。

5.人と人とのかかわりあい。

先日、お客様を訪問した時に、「縁」についてお話して下さいましたので

ご紹介致します。

そのお客様は、常日頃より「縁」というものを凄く大事にされており、

たとえ少しのかかわりであろうと丁寧な応対を心掛けておられるそうです。

それは、今はほんの少しのかかわりでも将来それがきっかけで

深い付き合いになるかもしれないからです。

例えば、電車で席を譲った方や役所や銀行等の待合せ室で

たまたま隣合せになった方がその時はその瞬間でのかかわりだけでしか

ないかもしれませんが、この後深い付き合いになったり、身内になるかもしれない。

そう思って今までの人生を送られて来られました。

「目に見えない糸」で繋がっている、そう表現されてました。

もう一つ教えて頂いたのが、

「袖振り合うも他生(多生)の縁」という言葉。

意味は、袖が触れ合うようなちょっとした出会いも、

前世からの因縁によって起きるという意。

私も知っていましたが、勉強足らずで情けないことに

「袖触れ合うも多少の縁」だと思ってました。

今日からは間違えることなく使っていきます。

お客様との会話は本当に勉強になります。

このようなお話をして頂くことに感謝です。

このお話を聞けたことも「縁」ですね。

2018.06.15

柩にメッセージ

 柩の中で眠るお母様のそばから離れない子供

葬儀がはじまる前 私は子供に声をおかけしました

「お母さんへの想いを柩に書いてみては?」と

その言葉にうなずき すぐに行動に移した

それを見た親族が続いて柩にメッセージをつづった

全員が書き終えた柩には もう隙間もないくらい

ぎっしりと『想い』が埋め尽くされていました

「神戸のお葬式ではこんなことをするのですか?」

ご親族の方が尋ねてこられた

私はただ「家族の想いを故人に届けたかっただけです」

と答えました

そのメッセージと共に儀式は粛々と執り行われました

きっと皆様の想いは故人に届いていると 私は信じています

2018.05.08

哀愁漂う念仏

 先日 ある葬儀を担当しました

その葬儀をお勤めして頂いた浄土真宗 本願寺派の寺院

この寺院のご住職は もともと石川県金沢市でご住職をされていたそうです

それが15年前に縁あって 神戸にあるお寺の住職を勤めるようになったそうです

それからは神戸を中心に活動されているのですが

このご住職は お葬式の導師を勤める際は 必ず最初に「路念仏」(じねんぶつ)を読まれるそうです

この「路念仏」とは「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・」と節を付けて読むのですが

昔でいう野辺送りの際に斎場までいく道中で勤められていた念仏だそうです

節にもいろいろあるようで 特に大きく分けて 京都の本山で使われる節

奈良地方で使われる節・北陸地方で使われる能登節と3つあるそうです

この度の導師は 金沢で勤めていたご住職なので 北陸地方の能登節で「路念仏」をするそうです

ご住職が言われるには 北陸で使われる能登節が物凄く情緒豊かで哀愁が漂い

大変良い節だそうです

お葬式では 導師が入場され着座する前に まず帰敬式をされ 続けて路念仏をされました

ご住職が言われるように 聞いていると確かに情緒豊かで哀愁漂う何か懐かしい感じがする

大変良い居心地がする念仏でした

神戸の他の寺院ではあまり路念仏をしなくなったようですが このご住職はよくご遺族ご親族から

「路念仏をしてください」と頼まれるそうです

お葬式も野辺送りなど 昔から考えると大きく変化をしてきました

この路念仏 他の節回しなどがあるようなので また是非聞いてみたいと思いました

皆さんも路念仏を拝聴する機会がありましたら 一度目を閉じてじっくりと聞いてみてください

2018.04.08

花まつり

 

4月8日はお釈迦さまの誕生日。

神戸文化ホールで行われたお釈迦さまの誕生を祝う

祝賀市民大会「花まつり」に初めて参加してきました。

どんな内容かは諸先輩方から聞いていたので、

およその見当はついていたものの、やはり実際見るのと

聞くのとでは違う印象でした。

灌佛式典(灌佛とは甘茶を誕生仏(子供の御姿をしたお釈迦様)に

かける事)では、合唱や読経、諸作法・挨拶など行われましたが、

一番印象に残っているのは保育園児2名の挨拶ですね。

恐らく何日も前から一生懸命話す内容を暗記してきたのでしょう。

沢山の大人の前で堂々と2人声を合わせて話す姿は、

感動すら覚えました。

「人に優しくしましょう、お互い助け合う人間になりましょう、

助け合う社会を作っていきましょう」なんて事を純粋無垢な園児が

一生懸命マイクに向かって話をしているのを見ていると、

「うん、そうやね。その通りやね」と思わず言葉に出してしまいそうでした。

初めて参加した「花まつり」

独特の雰囲気を感じながら、子供の一生懸命さに心洗われるようでした。

こういう事を感じさせてもらえたのも、お釈迦様のお陰なのかなと

感じた「花まつり」でした。

2018.04.07

散歩道

 先日の夜中のこと。

ご遺体を連れて帰る車中で、

「おやじは毎日この道を散歩していたんです」という話をされていました。

次の日、昨日通った道を写真に撮って来たんです。

会式前にその映像を流してあげたい。

ただそれだけのことなんですけれどね。

わかる人がわかったらいいんです。

僕はそんなのがお葬式やと思うんです。

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